ぶどうとワインのまち・勝沼

ぶどうとワインのまち 勝沼町 紹介 勝沼町は、甲府盆地の東部に位置する東山梨郡に属し、東京都心からは直線距離で約90kmの距離にあります。
町の西端は東経138度42分、東端は東経138度49分で東西の長さは約9.5km、南端は北緯約35度37分、北端は北緯約35度42分で南北の長さは約7.9kmの東西にやや長い土地です。標高は北端が海抜330mと最も低く、最高標高は東部山岳地帯の1,412mとなっています。総面積は36.77km2で、その約6割を山林が占めています。鉄道は、町の東部、標高500mの地点をJR東日本の中央本線が走り、都心から電車で1時間半の至近距離にあります。平成4年には駅名を「勝沼駅」から「勝沼ぶどう郷駅」へと改名し、年間を通して特急電車も停車するようになりました。秋のぶどう狩りシーズンには停車する列車の数も増加しています。
勝沼町は、古来より自然環境に恵まれ、古代集落の遺跡や遺物から狩猟者や漁労者が古くから住みついていたことがうかがえます。戦国時代は武田信玄の父信虎の弟、勝沼次郎五郎信友が勝沼に館を構えており、甲斐の戦略上、重要な拠点であったと伝えられています。近世、とくに江戸時代に入ってからは、甲州街道が開け、街道29宿のうちで最も繁栄を極めた勝沼宿を中心に、町は経済、文化面において大いに繁栄しました。
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商業の繁栄のみならず、米麦はもとより独特の風土を利用して勝沼が発祥の地と言われる甲州ぶどうや養蚕、木綿、柿などの作物が栽培されていました。第二次世界大戦後の復興期からは、独特の気候風土を活かしたぶどうや桃などの果樹栽培と観光産業が大いに発達しました。同時にぶどう栽培を活かした二次産業としてのワイン産業も発展を続け、日本一のワイン産地として、近年では様々なイベントを行うなど、ぶどうやワインを基盤とした町民の誇りとなる独自の産業文化の育成が進められつつあります。
かつぬまのぶどうの歴史 甲州ぶどうは、古くから上岩崎、下岩崎及び勝沼を中心に栽培され、特にその植物的性格から適地がごく一
部に限られた自然条件にあった。 たまたま本町が最適地という自然条件に恵まれ、古い伝統の中から今日の隆
盛を見るに至った。
特に甲州ぶどうが商品として取引されるようになったのは、江戸時代五街道が開け甲州街道もその中の一つ
として江戸から諏訪まで39宿が決定され、勝沼宿もその中に含まれていた。
荻生徂徠は峡中紀行の中で「勝沼の宿は人家多く繁昌なるところ甲州街道で第一番地、甲州葡萄は此国の名
物なり」と記し、勝沼宿も珍果ぶどうの里として江戸へも知れ渡ったのであった。
また、芭蕉が甲斐へ入国し、勝沼宿を通った際、つくったうた"勝沼や馬子もぶどうを食いながら"は当時の勝沼の情景を良くあらわしている。
勝沼ワインについて 勝沼産のぶどうを使い生産された純粋で良質を求められた国産ワイン。
日本初のワインの製造地として、最大の醸造量を記録している勝沼町内では31のワイナリーで、各々自慢のワインを醸
造、出荷している。
町の審査をへた勝沼推奨ワインや原産地認証ワインは、ワイン制度として町全体がバックアップしている。
近年、ワインの健康的な効用が注目され、定番的な人気に更に拍車がかかる。
町営ぶどうの丘で推奨ワイン180種の試飲と販売が行われている。
全国一の質と量を誇る純粋高品質のワインは絶対に欠かすことができない勝沼の名物。
勝沼町の町章とならんで、町内に使われているマーク。 日本一のぶどうとワインの産地勝沼のイメージアップを図り、また、21世紀に向けて個性豊かな地域づくりを町ぐるみで進めていくために制定された。
開拓者精神を次代へ継承しようという願いを込め、今日ある ぶどうとワイン産業に貢献した二人の若者のその功績を広く賛えるために、デザインしたもの。
●勝沼町ぶどうとワインのまち
〒409-1392 山梨県甲州市勝沼町勝沼756番地1 HPより許可を得て抜粋
http://www.town.katsunuma.yamanashi.jp/index.jsp
●甲州市勝沼ぶどうの丘
http://www.budounooka.com/
●勝沼トンネルワインカーヴ
http://www.budounooka.com/tunel/index.html
●勝沼ゴルフコース
http://www.gdmw.net/gdmw2/gdmw?c=MAIN&MID=141
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